第29話   フカセ釣に興ずる老釣師たち   平成16年10月25日  

主にフカセ釣をする人達は老釣師が圧倒的に多い。彼等は今更ながら、他の釣をする気などサラサラ無い。最近流行っている団子釣やウキフカセを極端に嫌っている。それは自分の釣に誇りを持っているのである。だからと云って、それらの釣を邪魔する積もりも無い。その為、極限られた場所でなければ釣が出来ない。

最近の磯釣りは、ウキフカセや団子釣などに占領されて昔ながらのフカセ釣が出来ないと嘆く。依然釣っていた釣場は大量の撒餌をするウキフカセ釣や団子釣の人にほぼ占領されてしまっている。それらの近くでは、餌を少量しか撒かず効果的に黒鯛を岸に寄せて釣る伝統釣法では中々競争出来ないのだ。その為、彼等の多くが手馴れた磯から人の少ない防波堤や岸壁周りに移動している。彼らの釣では一ヶ所の磯場で一人若しくは同行の者二人が釣り、後から来る者は遠慮する仕来りであった。だから潮を読み時間を掛けて少量の撒餌少しずつ撒いて黒鯛を竿一本くらいの岸に寄せる事が可能であった。沖目に撒餌を打ち、近辺を含め更に遠くの沖に居る黒鯛をも寄せて遠目の沖の根で釣ると云う釣り方とは、大きく異なる。最近の釣り人は、釣り人が先に入っている岩場にも遠慮会釈も無くドンドンと自分の庭の様に割り込んで来る。魚より釣り人が多いのだから、しょうがないと云えばそれまでの話だが入る時は、挨拶位あってもよさそうなものだ。しかし大半の釣り人は当たり前のように挨拶もなしに釣り座を確保する。

その為に同じ場所での釣りは不可能である。だから、彼らは日曜日の釣は、原則として休日とする。彼らの竿は原則として軽い1間から2間半位の竿が中心である。そして二本の手を使って竿を独特の構えで一日中飽きもせずに釣る。何度何度も竿を打ち返し、餌が自然に潮に流れる様にして静かに当たりを待つ。当たりが竿先に出なくとも、かすかに出る糸ふけでも当たりを取れる。そんな芸当は、長年の経験が無ければ出来ない。

人生経験の豊富な彼等は、釣の経験も豊富だから話をすると大変に面白い。中には自分の釣が最高だと自慢するものも居るが、大半は控えめで自分の釣技をひけらかさない者が大半である。日長一日釣れても釣れなくとも黒鯛の当たりを竿の先に念じ心穏やかに一心に待つ、これぞ黒鯛釣の極意である。そんな老釣師にいつか自分もなりたいものである。釣りとは云え、魚の生命を奪うものであるから生半可な気持ちでは釣は出来ない。釣り上げた魚は大事に扱わなければならない。

人間に生きる権利があるように、魚にも生きる権利がある。彼等は小さな魚でも食べる分は大事にキープする。食べない小魚をそこら辺りに捨てて行くにわか釣師は少ない。釣が趣味であるが、その趣味の為に無駄な殺生はしない人が多いのである。この点、最近の釣師は見習うべき事であるのも事実である。老釣師と云っても馬鹿には出来ない。釣れた魚とのやり取りは、実に華麗でついつい見とれてしまう技を持っている人もかなり多いから・・・。